先日、神戸学院大学で朗読会が有り太宰治の「かちかち山」と「駆け込み訴え」を聞いて?きました。この日の主役?は古賀かつゆきさん、そうです今は奈良今井町で「六斎カステラ」を焼いていらっしゃるいます。
今を去ること30数年前、今は無き情報誌「プレイガイドジャーナル」(朝日新聞の4コマ漫画いしいひさいちさんも書いていました。)に、甲南大学在学中でしたが能の情報を載せたいと、当時演劇担当であった松原利巳さんに直談判に行き少しですが毎月「能楽ノート」というコラムを書きました。
大阪の大槻能楽堂が立替工事の時で公開稽古能を開催していた頃ですが、大学を卒業し「オレンジ能」を始める前に舞台監督を引き受けてくださる方が居ないかと松原さんに相談に行きました。
丁度その頃、京都観世能で「清経」(恋之音取)を見に行かれた古賀かつゆきさんがその写真撮影のマナーの悪さを投稿され、能楽は何とかしないと駄目になると書いていらっしゃいました。松原さんはそれを見ながら古賀さんがやってくれるかも知れないとご紹介していただきお引き受けいただいたご縁からなのです。
このオレンジ能というのは「ツクスマ}という能楽師のグループと関西能楽学生連盟の共催で一年で5回シリーズで連続公演、しかも会場はファッションビルの中のボーリング場を改造して造られた劇場で若手劇団の発表の場としてにぎわっていた会場で能を上演したのです。
毎回能舞台を組み替え、お客様は来るたびに舞台のレイアウトが変わっているのに驚かれたと思いますがあるときは劇場奥に、あるときは会場の真ん中に能舞台が組まれていたのです。
客席も勿論都度毎に配置が変わりました。所作台を都度毎に借りてきて8階まで上げるのですが一度だけ違う所作台を借りてきたときにエレベーターに載らずに学生さんたちと運び上げた事もありました。(階段踊り場の蛍光灯が一つ割れました)
毎回、綿密な打ち合わせ(と言いながら毎回学生たちと思いつきの様なチャレンジ精神で)の上でプログラムから照明(朝永さん有難う御座いました)、音響まで仕込むのですが本当に大変だったのは舞台監督を引き受けてくださった古賀さんだったと今でも足を向けて寝られない思いで居ます。
それはシリーズが無事に終わり、最後の最後、大槻文蔵さんのマンションで鍋を突きながら古賀さんが愚痴というのでは無いのですが積み重ねの無い舞台が本当に大変だったという事を初めて文蔵さんに訴えていらっしゃいました。
勿論、大変な思いをして頂いているとは思っていましたが、連続公演中はどんな難題が起こっても不思議と取りまとめて下さる古賀さんがいらして決して事が荒立ったり、険悪な状況は一度として起こりませんでした。その時につくづくと、舞台監督は現場をスムースに設営し、役者にはやる気にさせ、客席には異次元に引っ張り込む凄い仕事なのだと思いを新たにしたからなのです。
この時の経験は本当に舞台は役者だけの力では出来ない、大勢の力の結集で積み上げていくものだという事を身にしみて実感したときです。
古賀さんから朗読公演の後、ご丁寧なメールを頂戴しました。丁度清経「恋之音取」が取り持ったご縁で前回のコラムを読んでくださった感想もいただきました。つくづくご縁と言うのは繋がっているものだと感じ入ります。
能楽協会の著作権委員会で肖像権の事を小生がさせて頂いているのも不思議です。お金を払って見に来ていただいているお客様を差し置いて一部の写真撮影が能を台無しにしている事を見過ごせないのです。携帯電話の音と共に能楽界のマナー向上を「駆け込み訴え」て今回の記事はおしまいにしましょう。
先日、奈良に行ったときの猿沢の池のサギです。
ポーズを決めていました。