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2009年11月29日 (日)

道成寺

本日野口傳之輔さんの喜寿記念能が開催され、小生は斉藤敦さんのお相手で道成寺をさせて頂きました。シテは観世清和氏。

清和氏とは小生は今度で4度目のお相手でした。お互いに下申し合わせから申し合わせ、本番とテンションをたかめていく中で、全体の仕上がりに確かな手ごたえが有った様に思います。

無事に会が終わり宴会で清和さんに続いて囃子方から挨拶をさせていただきました。喜寿のお祝いの後に小生より二周り上の酉で、体に気をつけてがんばって頂きたい、そして若い笛方の人たちに目標にして精進して欲しいとお祝いの言葉にさせて頂きました。

囃子方は能楽の縁の下の力持ちとして精進をしなくてはなりません。

特に笛方は地謡8人が謡った後に笛一人で舞を10分から20分ほど吹き続けます。これは大変なプレッシャーと思います。小鼓に例えれば毎回、道成寺の乱拍子を打つようなものです。

能の中での笛の位置を確信し笛方として若い人が精進して頂けると嬉しいです。

それにしても先人は何故こんな芸能を創造したのでしょう?本当にギリギリまで行きました。大変でしたが良い緊張感と場を共有できたと思います。くたびれました・・・・。

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2009年11月28日 (土)

金、土、日

今週末は関西で連続舞台です。

本日は芦屋能で長山禮三郎さんの「一角仙人」、明日の土曜日は京都造形大学で観世銕之丞さんの「松風」、さて、日曜日は大阪で観世清和さんの「道成寺」です。

夫々に思い入れのある能です。この所少しセーブをしていましたので体調は整えていましたが・・・・周囲(能楽師)の人が次々と新型インフルエンザの餌食になりました。小生は世代的にも免疫が有ると思い込んでいるのですが・・・今日の舞台で咳き込んでしまいました。ただ、是は舞台が以上に乾燥していて喉が張り付いてしまいました。せっかくの舞台を邪魔してしまい申し訳なく思いました。

明日も劇場ですので、埃や照明の熱で環境的にはあまりよくありません。能楽堂がいかに優れた劇場空間かと思います。

最後の能楽堂での道成寺は正念場です。それこそ咳一つで能が死んでしまいかねない能です。笛の斉藤敦君の披きです。一生に一度の大舞台です。また、小生の二周り上の酉歳生まれで子供の頃より世話になっています野口傳之輔さんの喜寿のお祝いの会です。

舞台の成果をその人の人生の中で刻み込んでいく、厳しい世界ですがそれだけにやり甲斐のある男子一生の仕事だと思っています。

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2009年11月25日 (水)

追手門 能楽講座

昨夜は大阪追手門学院の能楽講座でお話をしてきました。一月に一回、3回連続の最終日でした。

自分なりに一生懸命お話をさせて頂いたつもりですが、遠いところにある能が身近に感じていただければと思い、なるべく現代の事象に置き換えて話をさせて頂きました。

また、能楽師でしか判らない感覚を知って欲しいと色々話をさせて頂いたのですがどこまでご理解いただけたかは・・・・。

しかしながら、このブログといい講座といい小生にとって何が面白く思うのか・・・・。これを少しでも現して能を楽しんでいただければと思います。

事業仕分けが進み、前政権のうみがどんどん出てくると思いますが、現場で本当に必要な予算がカットされていくのを聞くと心が痛みます。

天下り役人一人分の退職金が現場に下りるだけでどれだけの人が喜ぶか・・・。を考えると体制変革は必要と思いますが・・・。

能楽は日本の財産として、利権を外して全国的な指導が行き渡らなくてはこのまま一部の人が楽しむだけの娯楽になってしまうでしょう。

日本人が日本の文化として能楽を楽しむ、またはたしなむ時代を取り戻せないかと思います。

091106_09540002 潜航中の猿沢の池の亀です。

やはりミドリ亀です。

日本亀はとうとう見つかりませんでした。

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2009年11月22日 (日)

横浜能楽堂

昨日はセルリアン能楽堂、今日は横浜能楽堂と能楽堂の主催公演に続けて出演しました。いずれも経営には大変ご苦労されていると思います。

何しろ能楽界は江戸時代の体質を持ちながら、興行を支えていくという劇場経営のギャップを制作スタッフは、現代のお客様という主体に対してご満足頂ける状態で提供しなくてはならないのですから。

昨日の通小町の話で一寸くさい終り方をしてしまったので後悔したのですが、この能はお坊さんの御回向を断りながら懺悔の様を見せ、しかも俺たち二人は既に御酒戒を守って悟っているからあなた(お坊様)のお世話にならなくっても良いのですよ~と変な終り方の能なのです。

是は、この作品が寄せ集め、またはつぎはぎのうちにこの様に成ったのだとする説と意図的にこのような構成にしたのだという説があります。

修羅能は井阿弥(せいあみ)が開拓したジャンルを世阿弥が広げて行った訳ですがこの通小町の様な古作が影響を与えているのは間違いありません。清経も修羅能ですが入水の場面で十念を唱えているので既に成仏して妻の前に現れます。

通小町も御酒戒を守って悟っているのに、猶お坊さんの前で何を見せたかったのでしょうか?興味は尽きる事がありません。

能は見る人、環境、演者、一期一会の中で印象が変わり楽しみ方も様々です。

今日の三井寺も一生懸命勤めましたが、思いのほか上手く行った所と、なかなか思うように行かなかった処があります。私の主観ですがお客様の目には、耳にはまた、如何様に映ったでしょうか?相対的な価値観と絶対的な価値観の対決です。

091105_15590001 猿沢に池の鷺と亀たちです。子供の頃は苔亀ばっかりでしたが全てミドリ亀に成ってしまいました。采女の幽霊もびっくりでしょう・・・・

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2009年11月21日 (土)

セルリアン能楽堂

今日は渋谷東急ホテルの中にあるセルリアン能楽堂公演がありました。2部構成で一部では関根祥人さんの「善界 白頭」二部では関根祥六先生の「通小町 雨夜之伝」

善界は中国の天狗が日本の天狗に慢心の友達を増やそうよ!と誘うところから始まる面白い能です。魔道は面白いよ!と誘うところがこの天狗さんは本当に楽しいからこちらの世界へおいでよ!と誘っているのでそれが彼の善心というのがミソの様に思います。喜多流では「是我意」と書いて「ぜかい」と読ませているのに対し「善界」と書く観世流のセンスの面白さがあります。

中国の善界坊さんは愛宕の太郎坊君と一緒に比叡山のお坊さん達を魔道に誘引しようよ!と談合した後、中入りの場面、太郎坊がやっぱり無理と言わんばかりに別行動するのが後場では善界坊一人で出てくる場面に繋がっています。

日本は元来、神国でアニミズムの下地の上に仏教が入って来たので仏法が反映していると太郎坊は言及しています。これが日本の強みだよ!と太郎坊は一寸善界坊さんに対し日本を易く見すぎていますね~と語る所など作者は良く書き込んでいるなと思います。

通小町は雨夜も風夜も厭わずに百夜通った深草少将の場面で、シトシト降る雨の中を通う情景を甲(カン)流しで現します。能楽の表現としては非常にリアルな情景描写です。

能の表現は「抽象表現」が主流です。その為このようなリアルな表現の処が特殊演出として書き出されます。これが所謂「小書」であったり、「石橋」の「露の拍子」や「定家」の「闇夜之一声」などの「習い事」と呼ばれる特別な演出と考えられているのです。

深草の少将さんも良かれと思って一生懸命なのですが・・・小町さんに対して一人で成仏するのはズルイ!と食い下がる男の脆さが可笑しくも悲しいです。

091105_16070002 猿沢の池第二弾!

鷺君、決まっています。

明日は横浜能楽堂で「三井寺」!頑張ります!

後の中華街が・・・・。M.Tさんの赤目が治っていました。良かったです~お互い体には気をつけましょう・・・

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2009年11月20日 (金)

恋之音取

先日、神戸学院大学で朗読会が有り太宰治の「かちかち山」と「駆け込み訴え」を聞いて?きました。この日の主役?は古賀かつゆきさん、そうです今は奈良今井町で「六斎カステラ」を焼いていらっしゃるいます。

今を去ること30数年前、今は無き情報誌「プレイガイドジャーナル」(朝日新聞の4コマ漫画いしいひさいちさんも書いていました。)に、甲南大学在学中でしたが能の情報を載せたいと、当時演劇担当であった松原利巳さんに直談判に行き少しですが毎月「能楽ノート」というコラムを書きました。

大阪の大槻能楽堂が立替工事の時で公開稽古能を開催していた頃ですが、大学を卒業し「オレンジ能」を始める前に舞台監督を引き受けてくださる方が居ないかと松原さんに相談に行きました。

丁度その頃、京都観世能で「清経」(恋之音取)を見に行かれた古賀かつゆきさんがその写真撮影のマナーの悪さを投稿され、能楽は何とかしないと駄目になると書いていらっしゃいました。松原さんはそれを見ながら古賀さんがやってくれるかも知れないとご紹介していただきお引き受けいただいたご縁からなのです。

このオレンジ能というのは「ツクスマ}という能楽師のグループと関西能楽学生連盟の共催で一年で5回シリーズで連続公演、しかも会場はファッションビルの中のボーリング場を改造して造られた劇場で若手劇団の発表の場としてにぎわっていた会場で能を上演したのです。

毎回能舞台を組み替え、お客様は来るたびに舞台のレイアウトが変わっているのに驚かれたと思いますがあるときは劇場奥に、あるときは会場の真ん中に能舞台が組まれていたのです。

客席も勿論都度毎に配置が変わりました。所作台を都度毎に借りてきて8階まで上げるのですが一度だけ違う所作台を借りてきたときにエレベーターに載らずに学生さんたちと運び上げた事もありました。(階段踊り場の蛍光灯が一つ割れました)

毎回、綿密な打ち合わせ(と言いながら毎回学生たちと思いつきの様なチャレンジ精神で)の上でプログラムから照明(朝永さん有難う御座いました)、音響まで仕込むのですが本当に大変だったのは舞台監督を引き受けてくださった古賀さんだったと今でも足を向けて寝られない思いで居ます。

それはシリーズが無事に終わり、最後の最後、大槻文蔵さんのマンションで鍋を突きながら古賀さんが愚痴というのでは無いのですが積み重ねの無い舞台が本当に大変だったという事を初めて文蔵さんに訴えていらっしゃいました。

勿論、大変な思いをして頂いているとは思っていましたが、連続公演中はどんな難題が起こっても不思議と取りまとめて下さる古賀さんがいらして決して事が荒立ったり、険悪な状況は一度として起こりませんでした。その時につくづくと、舞台監督は現場をスムースに設営し、役者にはやる気にさせ、客席には異次元に引っ張り込む凄い仕事なのだと思いを新たにしたからなのです。

この時の経験は本当に舞台は役者だけの力では出来ない、大勢の力の結集で積み上げていくものだという事を身にしみて実感したときです。

古賀さんから朗読公演の後、ご丁寧なメールを頂戴しました。丁度清経「恋之音取」が取り持ったご縁で前回のコラムを読んでくださった感想もいただきました。つくづくご縁と言うのは繋がっているものだと感じ入ります。

能楽協会の著作権委員会で肖像権の事を小生がさせて頂いているのも不思議です。お金を払って見に来ていただいているお客様を差し置いて一部の写真撮影が能を台無しにしている事を見過ごせないのです。携帯電話の音と共に能楽界のマナー向上を「駆け込み訴え」て今回の記事はおしまいにしましょう。091105_16060001

先日、奈良に行ったときの猿沢の池のサギです。

ポーズを決めていました。

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2009年11月18日 (水)

音取

昨日は双の会で清経でした。笛は一噌幸弘さんでした。笛吹童子と呼ばれた彼も00歳を越え流石に童子とは呼べないかな?という具合です。この曲は正面で見ていると常の清経よりもツレの奥さんが少し前に出ています。笛方は音取の時に少し前に出て吹きますが丁度ツレの姿とかぶるのがミソです。様々な見方が出来ると思いますがツレの心の中で聞こえる笛の音に亡霊が現れると思えるときと、笛方がビシッと現れその笛の音に亡霊が無理やり?引っ張り出されると見えてしまうこともあります。

例えば先日亡くなったマイケルジャクソンの歌が耳から離れずに寝床に着くたびに彼の歌声が耳元に聞こえその声が聞こえると彼の踊っている生前の姿が眼の裏に浮かぶとします。思わず曲の合間に声を掛けると夢の中の彼は言葉を交わし何故死んでしまったのかと語りだす。

これが能、清経の始まりです。正面で能を見ると演出として位置関係が面白く思われる事が他にもあります。やはり、貴人が見ているところを主視点に演出が考えられたと思わせる場面です。

お話自体も身近なことに置き換えると能から何を言おうとしたのか?何が感じられるか?どんどん広がってくるイメージ、また作者からメッセージが届いてくる面白さが広がります。

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2009年11月17日 (火)

清経 音取

昨日は朝から国立能楽堂で新作能制作発表記者会見でした。
記者の前で台本の一部分を上演しました。
僕は後能楽協会の理事会が有り失礼しましたがおそらく来月あたりに各新聞で紹介されることでしょう。
事業仕分けが進み文化予算が削られると昔はこんなことが有ったな~と言われそうです。
今晩は清経、笛の聞かせ所です。
如何なる舞台になりますか楽しみです。続きは今晩…

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2009年11月15日 (日)

インフルエンザ

家族にインフルエンザ患者がとうとう出ましたが、無事終息いたしました!

しかし私は免疫が有るのか、なんとも有りませんでした。聞くところによると40歳以上の人はかかりにくいそうです。また,ヨーグルトなどで乳酸菌を食べている人は成りにくいそうです。
休みになると体調不良を起こすので気を抜かないように稽古で気を締めておきます。
毎月レギュラーのバーズアイ12月号原稿を書き上げホッとしたら猛烈に肩が凝ってしまいました!パソコンの画面が良くない事にしておきます。
この原稿は携帯からで余計に目に良くないですね~。

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2009年11月13日 (金)

つづき

前回、思わず色々書いてしまいましたが・・・。これからの能楽師を志している、または修行をしている人たちを応援する意味で書いているつもりが、若い人たちに対して「知らぬが仏」みたいに思っていると感じられたかもしれません。

思うに先人の舞台は絶えず私たちのプレッシャーとして在るのです。謙虚に受け止め止めることも大切ですが比較しても意味は余り無いという事に気がつくまでに時間がかかりすぎるとチャンスを逸する事になります。

絶対的な芸位と相対的な芸位が有るという事です。これは個人にも言えることですが絶対的な自分に対して、周囲の人が見ている自分の像というのはずれているという事です。

私たちの若い頃先人たちの素晴らしい舞台に刺激を受けてこの道に入ったのですがそれを再現しようとしているだけでは駄目だということです。自分たちの絶対的な舞台を作ることが先人にも真似の出来ない舞台を造る原動力になると思うからです。

若い人の舞台を見て闇雲に先人の舞台は凄かったと言うのは止そうと思います。前回も書きましたがこれからの若い人のほうがより深刻な状況で能をやらなくてはなりません。また、少し飛びますが世阿弥にさえ、今の能は出来ないという絶対条件があります。

自分たちの作る能はこれからの人たちにとっていかなる意味を持つのか?これからの一番の課題かと思っています。

舞台が無い分、色々と普段書けない事を書いてしまいました・・・。

今日の大阪の稽古に阪大喜多会の人たちが稽古に来ました。12月5日土曜日大阪山本能楽堂で自演会で鼓の連調「船弁慶」と「竹生島」を学生たちが打つための稽古をつけました。粟谷明生さんの指導が行き届き実にしっかりと打たれました。当日が楽しみです。

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2009年11月10日 (火)

知らぬ幸せ、知った不幸

能の世界でも世代間格差が問われます。それはあの人の、あのときの舞台を見たか!という時に入れるか入れないか?少なくともその人の舞台は見た!と言えるか言えないか?では随分と違ってきます。

小生は昭和32年の産まれですから物心ついて自分から能を意識して見ているのは中学に入ってからです。勿論両親が連れて行ってくれたり、何かの序に能を見ていることは有りますから、漠然と見た中に大変な舞台も有ったかもしれません。

明治生まれの元気な方たちがまだまだ若いものには負けないぞ!と実に楽しげに能を演じていました。また、そのときのお客様はやはり、子供の頃から能を楽しんできて演者と共に歳を経た人たちが実に暖かくまた、楽しげにご覧になっていたのを覚えています。

私たちの親世代(父親は大正14年生まれ)は戦争で何時死ぬか判らない、又、能が再びできるか判らない状況の中で稽古だけは続け、戦後の高度経済成長を遂げ、舞台が忙しくなりました。その為、来る仕事は空いていれば絶対受けましたし行ける所まで行くのだ!という生き方でした。

その忙しい中、本当に稽古だけは一所懸命につけて下さいましたが、なんと言っても忙しすぎでした。私たちの世代は兵隊の様に駆り立てられ子供の頃は一所に走り回っていました。

あるとき気がつくと明治生まれの元気な方がサーっと居なくなり、大正の人たちも次々と舞台から姿を消して行きました。これから育つ人たちはあの戦争を潜り抜けた人たちの生きる喜びと、能を作る喜びが重なった舞台を見ることは無いのです。

この中で若い人たちは能を作っていかなくてはなりません。技術だけの伝承では能は駄目になります。この両者を見ている世代が正しく私たちの世代なのかも知れません。知る不幸、知らぬ幸せとはこのことです。

しかし、一つ見方を変えれば今のお客様は能を純粋に娯楽として出会われた方が多く、その中でこの能を演じる事のほうがより過酷な状況であると言わざるを得ません。妄信的に先人の能は素晴らしかった!!と言うのは無責任すぎます。今からの能楽師のほうがより過酷な状況の下、能を演じ続けなければ成らないのです。

私自身が子供の頃より何故能をやるのか?と自問した答えは出きっていませんが能を演じる喜び、見る喜び、創る喜び、造る喜び・・・重なり合った凄い能に参加できるように精進しなければと思います。

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月曜日!

卒都婆小町、姨捨と大曲続き明けの月曜日、なにか腑抜けになったような朝でしたがぼやぼやしていられませんというのも国立能楽堂の特別企画で来年三月の新作能の稽古が今日明日と続きであります。それというのも16日の記者会見用に少し上演しなくてはならないのです。という事は一部分とはいえ作ってまたまた覚えないとなりません。本当にこの仕事は死ぬまで勉強です。

確かに新作能の現場に居るという事は能楽師として本当に貴重な体験で古典の能を見直す上でも大変なヒントとなり新しい発見と自分が何故能をやるのか?という根本的な問題を絶えず問いかけてくる大切な時間であります。が・・・

やはり切り替えが・・・体と心の切り替えがスパッと行くときと今ひとつスイッチが入らずぐずぐずしてしまう時とが有ります。やはり今回はどちらかというと後者の方で重過ぎる曲が続いた後のこの切り替えは上手く行かずに苦戦しています。

二年前に初めて能繁期を乗り切る為にと11月に少し休みを取りました。これが小生にとって大変良い結果を生みました。それ以来何と言われても舞台の無い日を作りキープしています。今週の土日は最初地方公演であったのがキャンセルになり図らずも舞台の無い土日になりました。(声を掛けていただいたのにお断りした主催者の皆様ゴメンナサイ!)本当は内緒にしておかなくてはいけないのですが白状してしまいました。

舞台の仲間と良く話をしたり、食事をして無駄そうに見えるかもしれないですが発想を柔軟にするためにも固まった思考をほぐそうと思います。

鼓もこの季節は環境の変化に対応しきれずに少し悲鳴を上げているように思います。酷使しているのは人間だけでは無くお道具も同じといえます。柔らかい革を打つとき、乾燥しすぎていると痛みは激しいです。勿論湿気が多すぎるのも革を痛めますが・・・。

それと先日朝一で興福寺でお堂の中で見る阿修羅展を見に行ってきました!やはりお堂の中で見るのが一番!!って東京、大宰府で見損なった悔し紛れですが・・・。やはり木のぬくもりの中、何百年もの間奈良から世界を守り続けた仏像たちの姿に感動しないはずは有りませんでした。東金堂、仮金堂、北円堂と三箇所の仏様をゆっくり時間を掛けて拝んで、凄いパワーを頂けました。

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2009年11月 8日 (日)

無事に済みました!

昨日は照の会で卒都婆小町、本日は梅若靖記後援会で姨捨と二日続きで大曲を勤めさせていただきました。なんとか無事にさせて頂きましたが流石に心身ともにくたびれたというのが正直なところです。

しかし、不思議な事に終わるとあそこはこうしておけばよかった、ここはこのようにしたほうが良かったのか?などなど、新たな疑問が生まれます。本当に命には終わりあり、能には果てあるべからずです。師匠から弟子へ、親から子へ伝えながら工夫が重ねられる伝統芸能の面白さでもあり、先日も書きましたが残酷な伝承法ともいえます。

姨捨は先日梅若玄祥氏のお相手をさせて頂いたばかりですが、今回はお相手の流儀ががらりと替わりました。その為、同じ曲かと思うほど違うところもありました。見る人も始めて見る組み合わせ、流儀で姨捨の印象もどのように変わるのでしょう?アンケートを取って見たいと思いますが趣味嗜好の違いが合致するのとしないのでは大変な違いと思われます。出会いが大切と言われる由縁と思います。

T.Mさんも疲労で赤目になっていました。能繁期ももう少しです。がんばりましょう!

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2009年11月 7日 (土)

卒都婆小町

明日は卒都婆小町です。作品自体が皮肉な内容ですがこれを50台の役者が取り組む事を世阿弥がプロデュースしていた訳でなんとも恐ろしい話ですし、その呪縛から抜ける事が出来ない能楽師というのは本当に過酷な試練を与えられているといえます。

さて、小生が大阪阪急ファイブでオレンジ能を制作していたときに舞台監督を務めてくださった古賀かつゆきさんが神戸で太宰治の「駆け込み訴え」を朗読されます。11月13日金曜日です。

http://www1.kcn.ne.jp/~himasiyu/index.html

詳細とチケットは上記ホームページから手に入れることが出来ます。どうぞお時間のある方は覗いていただければと思います。

明日の為にこんばんは体をほぐして休みたいと思います。

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2009年11月 5日 (木)

卒都婆小町

今日は卒都婆小町の申し合わせです。週末の「照の会」シテは歳が二つ下の上田拓司さんです。同世代の老女物のお相手が最近増えてきたように思います。たまたまですが日曜日の姨捨のシテ梅若靖記さんも一つ上で同じ世代となります。若い頃と違うのは先輩にくっ付いて行く仲間から、本当の意味で舞台を作り上げていく舞台人としての緊張関係に時間を掛けて変化してきているといえます。

今までは先輩のシテが老女を勤められるときにお相手に声を掛けていただき、先輩の胸を借りて精一杯勤めさせて頂く、すなわち自分なりに一所懸命にさせて頂けばよかった訳ですがこれからは同世代、または年下の方の披きにお相手をさせて頂くとなると少し違ってきます。

プレッシャーも少しずつ変化してきます。囃子方の立場を弁えてシテが求めている事、また、言葉にならない囃子で作り上げる部分、囃子に任せられている心持ちを求められているといえます。これは他のどの曲にもいえる事であり、板の上は世代も考えも違って当然であるはずなのですが自分自身が稽古やこれまでの舞台で得てきたことを確実に次に伝える事が出来るか?という事でも有るのです。

交通が便利になり移動に時間を掛ければ掛けるほど人との距離が開いていくような気がします。舞台の上には素敵な緊張感が張り詰めるよう心がけたいと思います。

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2009年11月 3日 (火)

海の会

セルリアンホテル能楽堂で海の会がありました。観世流勝海登さんの玄人会で田村の替装束でした。古代の将軍坂上田村麻呂の物語ですが清水寺の縁起を謡い日本を平定していく姿は勇ましく、頼もしい存在として戦国大名の目には映ったのでしょう。黒澤映画「影武者」の中で浦田保利さんが上田照也地頭、大鼓山本孝、小鼓大倉長十郎で収録されています。薪能のシーンだったと思います。

夜は自宅で唐招提寺のテレビを見ました。ドキュメンタリーとふぃっくしょんの混合構成で見やすくなっていたとは思いますが初めて見る人には本当と作り話の境目が判らなくなるのではと危惧しました・・・。が歴史に興味を持ち、答えは様々に有ると探究心を育てるような番組作りをしていただければこれからも大いに制作して欲しい内容でした。それにしても唐招提寺成立が780年以降という新事実が年輪調査で測定出来るなど凄い事だと思います。

能楽もこの作品はこの時代にどのような目的を持って誰が書いたなどが判るともっと面白いのに・・・と、興味深く最後まで見てしまいました。

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2009年11月 2日 (月)

今井泰男先生米寿記念祝会

今日は朝から玄人稽古。勿論自分自身のものも含めてですがこれからの暮れまでの舞台を整理して、準備を進めました。というのも能繁期の中で半日時間がある日は少なく久しぶりにゆっくりと整理が出来たということです。さて、夕刻4時から宝生流の今井泰男先生の米寿記念祝賀会に出かけました。フォークソングあり、落語ありの楽しい集まりでした。

長生きも芸の内と言いますが年齢を重ねないと見えない事も沢山有ります。(勿論人の話を聞かなくなり、どんどん我侭に成る事と裏腹かもしれませんが)「芸」という物差しがある以上それを主題に自身の人生を進める事が出来れば嬉しく思います。

近藤乾三先生90歳を超えて「人の魂が抜けると空になるから体なんだよ!体は借り物だから大切に使いなさいよ!」と私たちのような子供に幾度と無く語られていました。そのときは余り感じませんでしたが最近その言葉が耳によみがえります。今日の祝会に伺って再びその言葉が思い起こされました。

それにしても能楽界のお歳寄り(失礼)はお元気です。93歳の先人がお二人も祝辞を述べられ激励されていました。

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七騎落

観世会で初番の「七騎落」を勤めました!

以前に勤めましたのが平成14年でその前が平成7年となんと7年ぶりが2度続いた舞台です。珍しい事ですがやはり舞台は毎回印象が違います。一期一会の舞台の面白さです。

所要時間1時間で次の辰巳卍郎さんの素人社中さんの発表会あまねく会に行き久々の連続囃子4番×2回が有り、足にきてしまいました!

他に、小生に鼓を習われている奥様がご主人の謡いで「小袖曽我」キリの鼓を打たれました。ご夫婦で嗜まれている微笑ましい?舞台で素敵でした。

最後の留めに番外舞囃子「ショウジョウ」シテは会主自身でめでたく舞い納め、後は宴会でDVDの宣伝もしてくださり感謝です。

12月4日に辰巳卍郎さんの初の会があります。宝生流「邯鄲」傘出しの出アドレスはリンクしていると思いますのでホームページ見てあげてください!凄いです!

会の最後の方で鼓の音が緩んで来たなと思ったら案の定、雨が降り出しました。
小鼓天気予報当たりました!

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