2009年11月15日 (日)

インフルエンザ

家族にインフルエンザ患者がとうとう出ました!しかし私は免疫が有るのかなんとも有りません。潜伏しているかも知れませんが聞くところによると40歳以上の人はかかりにくいそうです。また,ヨーグルトなどで乳酸菌を食べている人は成りにくいそうです。
休みになると体調不良を起こすので気を抜かないように稽古で気を締めておきます。
毎月レギュラーのバーズアイ12月号原稿を書き上げホッとしたら猛烈に肩が凝ってしまいました!パソコンの画面が良くない事にしておきます。
この原稿は携帯からで余計に目に良くないですね~。

|

2009年11月13日 (金)

つづき

前回、思わず色々書いてしまいましたが・・・。これからの能楽師を志している、または修行をしている人たちを応援する意味で書いているつもりが、若い人たちに対して「知らぬが仏」みたいに思っていると感じられたかもしれません。

思うに先人の舞台は絶えず私たちのプレッシャーとして在るのです。謙虚に受け止め止めることも大切ですが比較しても意味は余り無いという事に気がつくまでに時間がかかりすぎるとチャンスを逸する事になります。

絶対的な芸位と相対的な芸位が有るという事です。これは個人にも言えることですが絶対的な自分に対して、周囲の人が見ている自分の像というのはずれているという事です。

私たちの若い頃先人たちの素晴らしい舞台に刺激を受けてこの道に入ったのですがそれを再現しようとしているだけでは駄目だということです。自分たちの絶対的な舞台を作ることが先人にも真似の出来ない舞台を造る原動力になると思うからです。

若い人の舞台を見て闇雲に先人の舞台は凄かったと言うのは止そうと思います。前回も書きましたがこれからの若い人のほうがより深刻な状況で能をやらなくてはなりません。また、少し飛びますが世阿弥にさえ、今の能は出来ないという絶対条件があります。

自分たちの作る能はこれからの人たちにとっていかなる意味を持つのか?これからの一番の課題かと思っています。

舞台が無い分、色々と普段書けない事を書いてしまいました・・・。

今日の大阪の稽古に阪大喜多会の人たちが稽古に来ました。12月5日土曜日大阪山本能楽堂で自演会で鼓の連調「船弁慶」と「竹生島」を学生たちが打つための稽古をつけました。粟谷明生さんの指導が行き届き実にしっかりと打たれました。当日が楽しみです。

|

2009年11月10日 (火)

知らぬ幸せ、知った不幸

能の世界でも世代間格差が問われます。それはあの人の、あのときの舞台を見たか!という時に入れるか入れないか?少なくともその人の舞台は見た!と言えるか言えないか?では随分と違ってきます。

小生は昭和32年の産まれですから物心ついて自分から能を意識して見ているのは中学に入ってからです。勿論両親が連れて行ってくれたり、何かの序に能を見ていることは有りますから、漠然と見た中に大変な舞台も有ったかもしれません。

明治生まれの元気な方たちがまだまだ若いものには負けないぞ!と実に楽しげに能を演じていました。また、そのときのお客様はやはり、子供の頃から能を楽しんできて演者と共に歳を経た人たちが実に暖かくまた、楽しげにご覧になっていたのを覚えています。

私たちの親世代(父親は大正14年生まれ)は戦争で何時死ぬか判らない、又、能が再びできるか判らない状況の中で稽古だけは続け、戦後の高度経済成長を遂げ、舞台が忙しくなりました。その為、来る仕事は空いていれば絶対受けましたし行ける所まで行くのだ!という生き方でした。

その忙しい中、本当に稽古だけは一所懸命につけて下さいましたが、なんと言っても忙しすぎでした。私たちの世代は兵隊の様に駆り立てられ子供の頃は一所に走り回っていました。

あるとき気がつくと明治生まれの元気な方がサーっと居なくなり、大正の人たちも次々と舞台から姿を消して行きました。これから育つ人たちはあの戦争を潜り抜けた人たちの生きる喜びと、能を作る喜びが重なった舞台を見ることは無いのです。

この中で若い人たちは能を作っていかなくてはなりません。技術だけの伝承では能は駄目になります。この両者を見ている世代が正しく私たちの世代なのかも知れません。知る不幸、知らぬ幸せとはこのことです。

しかし、一つ見方を変えれば今のお客様は能を純粋に娯楽として出会われた方が多く、その中でこの能を演じる事のほうがより過酷な状況であると言わざるを得ません。妄信的に先人の能は素晴らしかった!!と言うのは無責任すぎます。今からの能楽師のほうがより過酷な状況の下、能を演じ続けなければ成らないのです。

私自身が子供の頃より何故能をやるのか?と自問した答えは出きっていませんが能を演じる喜び、見る喜び、創る喜び、造る喜び・・・重なり合った凄い能に参加できるように精進しなければと思います。

|

月曜日!

卒都婆小町、姨捨と大曲続き明けの月曜日、なにか腑抜けになったような朝でしたがぼやぼやしていられませんというのも国立能楽堂の特別企画で来年三月の新作能の稽古が今日明日と続きであります。それというのも16日の記者会見用に少し上演しなくてはならないのです。という事は一部分とはいえ作ってまたまた覚えないとなりません。本当にこの仕事は死ぬまで勉強です。

確かに新作能の現場に居るという事は能楽師として本当に貴重な体験で古典の能を見直す上でも大変なヒントとなり新しい発見と自分が何故能をやるのか?という根本的な問題を絶えず問いかけてくる大切な時間であります。が・・・

やはり切り替えが・・・体と心の切り替えがスパッと行くときと今ひとつスイッチが入らずぐずぐずしてしまう時とが有ります。やはり今回はどちらかというと後者の方で重過ぎる曲が続いた後のこの切り替えは上手く行かずに苦戦しています。

二年前に初めて能繁期を乗り切る為にと11月に少し休みを取りました。これが小生にとって大変良い結果を生みました。それ以来何と言われても舞台の無い日を作りキープしています。今週の土日は最初地方公演であったのがキャンセルになり図らずも舞台の無い土日になりました。(声を掛けていただいたのにお断りした主催者の皆様ゴメンナサイ!)本当は内緒にしておかなくてはいけないのですが白状してしまいました。

舞台の仲間と良く話をしたり、食事をして無駄そうに見えるかもしれないですが発想を柔軟にするためにも固まった思考をほぐそうと思います。

鼓もこの季節は環境の変化に対応しきれずに少し悲鳴を上げているように思います。酷使しているのは人間だけでは無くお道具も同じといえます。柔らかい革を打つとき、乾燥しすぎていると痛みは激しいです。勿論湿気が多すぎるのも革を痛めますが・・・。

それと先日朝一で興福寺でお堂の中で見る阿修羅展を見に行ってきました!やはりお堂の中で見るのが一番!!って東京、大宰府で見損なった悔し紛れですが・・・。やはり木のぬくもりの中、何百年もの間奈良から世界を守り続けた仏像たちの姿に感動しないはずは有りませんでした。東金堂、仮金堂、北円堂と三箇所の仏様をゆっくり時間を掛けて拝んで、凄いパワーを頂けました。

|

2009年11月 8日 (日)

無事に済みました!

昨日は照の会で卒都婆小町、本日は梅若靖記後援会で姨捨と二日続きで大曲を勤めさせていただきました。なんとか無事にさせて頂きましたが流石に心身ともにくたびれたというのが正直なところです。

しかし、不思議な事に終わるとあそこはこうしておけばよかった、ここはこのようにしたほうが良かったのか?などなど、新たな疑問が生まれます。本当に命には終わりあり、能には果てあるべからずです。師匠から弟子へ、親から子へ伝えながら工夫が重ねられる伝統芸能の面白さでもあり、先日も書きましたが残酷な伝承法ともいえます。

姨捨は先日梅若玄祥氏のお相手をさせて頂いたばかりですが、今回はお相手の流儀ががらりと替わりました。その為、同じ曲かと思うほど違うところもありました。見る人も始めて見る組み合わせ、流儀で姨捨の印象もどのように変わるのでしょう?アンケートを取って見たいと思いますが趣味嗜好の違いが合致するのとしないのでは大変な違いと思われます。出会いが大切と言われる由縁と思います。

T.Mさんも疲労で赤目になっていました。能繁期ももう少しです。がんばりましょう!

|

2009年11月 7日 (土)

卒都婆小町

明日は卒都婆小町です。作品自体が皮肉な内容ですがこれを50台の役者が取り組む事を世阿弥がプロデュースしていた訳でなんとも恐ろしい話ですし、その呪縛から抜ける事が出来ない能楽師というのは本当に過酷な試練を与えられているといえます。

さて、小生が大阪阪急ファイブでオレンジ能を制作していたときに舞台監督を務めてくださった古賀かつゆきさんが神戸で太宰治の「駆け込み訴え」を朗読されます。11月13日金曜日です。

http://www1.kcn.ne.jp/~himasiyu/index.html

詳細とチケットは上記ホームページから手に入れることが出来ます。どうぞお時間のある方は覗いていただければと思います。

明日の為にこんばんは体をほぐして休みたいと思います。

|

2009年11月 5日 (木)

卒都婆小町

今日は卒都婆小町の申し合わせです。週末の「照の会」シテは歳が二つ下の上田拓司さんです。同世代の老女物のお相手が最近増えてきたように思います。たまたまですが日曜日の姨捨のシテ梅若靖記さんも一つ上で同じ世代となります。若い頃と違うのは先輩にくっ付いて行く仲間から、本当の意味で舞台を作り上げていく舞台人としての緊張関係に時間を掛けて変化してきているといえます。

今までは先輩のシテが老女を勤められるときにお相手に声を掛けていただき、先輩の胸を借りて精一杯勤めさせて頂く、すなわち自分なりに一所懸命にさせて頂けばよかった訳ですがこれからは同世代、または年下の方の披きにお相手をさせて頂くとなると少し違ってきます。

プレッシャーも少しずつ変化してきます。囃子方の立場を弁えてシテが求めている事、また、言葉にならない囃子で作り上げる部分、囃子に任せられている心持ちを求められているといえます。これは他のどの曲にもいえる事であり、板の上は世代も考えも違って当然であるはずなのですが自分自身が稽古やこれまでの舞台で得てきたことを確実に次に伝える事が出来るか?という事でも有るのです。

交通が便利になり移動に時間を掛ければ掛けるほど人との距離が開いていくような気がします。舞台の上には素敵な緊張感が張り詰めるよう心がけたいと思います。

|

2009年11月 3日 (火)

海の会

セルリアンホテル能楽堂で海の会がありました。観世流勝海登さんの玄人会で田村の替装束でした。古代の将軍坂上田村麻呂の物語ですが清水寺の縁起を謡い日本を平定していく姿は勇ましく、頼もしい存在として戦国大名の目には映ったのでしょう。黒澤映画「影武者」の中で浦田保利さんが上田照也地頭、大鼓山本孝、小鼓大倉長十郎で収録されています。薪能のシーンだったと思います。

夜は自宅で唐招提寺のテレビを見ました。ドキュメンタリーとふぃっくしょんの混合構成で見やすくなっていたとは思いますが初めて見る人には本当と作り話の境目が判らなくなるのではと危惧しました・・・。が歴史に興味を持ち、答えは様々に有ると探究心を育てるような番組作りをしていただければこれからも大いに制作して欲しい内容でした。それにしても唐招提寺成立が780年以降という新事実が年輪調査で測定出来るなど凄い事だと思います。

能楽もこの作品はこの時代にどのような目的を持って誰が書いたなどが判るともっと面白いのに・・・と、興味深く最後まで見てしまいました。

|

2009年11月 2日 (月)

今井泰男先生米寿記念祝会

今日は朝から玄人稽古。勿論自分自身のものも含めてですがこれからの暮れまでの舞台を整理して、準備を進めました。というのも能繁期の中で半日時間がある日は少なく久しぶりにゆっくりと整理が出来たということです。さて、夕刻4時から宝生流の今井泰男先生の米寿記念祝賀会に出かけました。フォークソングあり、落語ありの楽しい集まりでした。

長生きも芸の内と言いますが年齢を重ねないと見えない事も沢山有ります。(勿論人の話を聞かなくなり、どんどん我侭に成る事と裏腹かもしれませんが)「芸」という物差しがある以上それを主題に自身の人生を進める事が出来れば嬉しく思います。

近藤乾三先生90歳を超えて「人の魂が抜けると空になるから体なんだよ!体は借り物だから大切に使いなさいよ!」と私たちのような子供に幾度と無く語られていました。そのときは余り感じませんでしたが最近その言葉が耳によみがえります。今日の祝会に伺って再びその言葉が思い起こされました。

それにしても能楽界のお歳寄り(失礼)はお元気です。93歳の先人がお二人も祝辞を述べられ激励されていました。

|

七騎落

観世会で初番の「七騎落」を勤めました!

以前に勤めましたのが平成14年でその前が平成7年となんと7年ぶりが2度続いた舞台です。珍しい事ですがやはり舞台は毎回印象が違います。一期一会の舞台の面白さです。

所要時間1時間で次の辰巳卍郎さんの素人社中さんの発表会あまねく会に行き久々の連続囃子4番×2回が有り、足にきてしまいました!

他に、小生に鼓を習われている奥様がご主人の謡いで「小袖曽我」キリの鼓を打たれました。ご夫婦で嗜まれている微笑ましい?舞台で素敵でした。

最後の留めに番外舞囃子「ショウジョウ」シテは会主自身でめでたく舞い納め、後は宴会でDVDの宣伝もしてくださり感謝です。

12月4日に辰巳卍郎さんの初の会があります。宝生流「邯鄲」傘出しの出アドレスはリンクしていると思いますのでホームページ見てあげてください!凄いです!

会の最後の方で鼓の音が緩んで来たなと思ったら案の定、雨が降り出しました。
小鼓天気予報当たりました!

|

«定家