能の世界でも世代間格差が問われます。それはあの人の、あのときの舞台を見たか!という時に入れるか入れないか?少なくともその人の舞台は見た!と言えるか言えないか?では随分と違ってきます。
小生は昭和32年の産まれですから物心ついて自分から能を意識して見ているのは中学に入ってからです。勿論両親が連れて行ってくれたり、何かの序に能を見ていることは有りますから、漠然と見た中に大変な舞台も有ったかもしれません。
明治生まれの元気な方たちがまだまだ若いものには負けないぞ!と実に楽しげに能を演じていました。また、そのときのお客様はやはり、子供の頃から能を楽しんできて演者と共に歳を経た人たちが実に暖かくまた、楽しげにご覧になっていたのを覚えています。
私たちの親世代(父親は大正14年生まれ)は戦争で何時死ぬか判らない、又、能が再びできるか判らない状況の中で稽古だけは続け、戦後の高度経済成長を遂げ、舞台が忙しくなりました。その為、来る仕事は空いていれば絶対受けましたし行ける所まで行くのだ!という生き方でした。
その忙しい中、本当に稽古だけは一所懸命につけて下さいましたが、なんと言っても忙しすぎでした。私たちの世代は兵隊の様に駆り立てられ子供の頃は一所に走り回っていました。
あるとき気がつくと明治生まれの元気な方がサーっと居なくなり、大正の人たちも次々と舞台から姿を消して行きました。これから育つ人たちはあの戦争を潜り抜けた人たちの生きる喜びと、能を作る喜びが重なった舞台を見ることは無いのです。
この中で若い人たちは能を作っていかなくてはなりません。技術だけの伝承では能は駄目になります。この両者を見ている世代が正しく私たちの世代なのかも知れません。知る不幸、知らぬ幸せとはこのことです。
しかし、一つ見方を変えれば今のお客様は能を純粋に娯楽として出会われた方が多く、その中でこの能を演じる事のほうがより過酷な状況であると言わざるを得ません。妄信的に先人の能は素晴らしかった!!と言うのは無責任すぎます。今からの能楽師のほうがより過酷な状況の下、能を演じ続けなければ成らないのです。
私自身が子供の頃より何故能をやるのか?と自問した答えは出きっていませんが能を演じる喜び、見る喜び、創る喜び、造る喜び・・・重なり合った凄い能に参加できるように精進しなければと思います。