2012年1月22日 (日)

本年もよろしくお願いします。

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
決して忘れていたわけでは有りませんが
刻々是好刻の更新が大変遅くなりました。

申し訳ありませんでした。

fb

http://www.facebook.com/index.php#!/profile.php?id=100002124551020

を併用、申請登録してくださった方も多いかと思いますが
刻々是好刻では公式発表などを中心に、

fbでは日常の話題を中心にアップしていくつもりです。

さて、今年は5月10日に多武峰談山神社奉納が確定しました。

詳細は「多武峰談山能」

18okina


開催日時 : 2012年5月10日(木) 13:30~15:30

催事場 : 談山神社権殿(常行堂)
問い合わせ : ダンスウエスト
TEL : 06-6447-1950(先行予約受付中・平日午前11時~午後6時)
企画主旨
奈良県桜井市は、日本芸能発祥の地、国号発祥の地、万葉集発耀の地であり、また卑弥呼の里等、日本の歴史を理解する上で極めて重要な地である。
奈良県桜井市にある談山神社(妙楽寺)は、能楽四座の内、能楽を大成した観阿弥・世阿弥の本拠地として大切にされていたが廃仏毀釈以降の能楽上演は疎遠になっていた。平成元年以降の石原昌一氏を初めとする地元の方々の尽力により談山能が開催され、鼓の産地であった事を顕彰する「鼓魂(こだま)の会」の開催など新たな神社と能楽の関係が築かれて来た。
平成23年5月16日に長年修復を待ち望まれていた常行堂の修理完成に伴い観世宗家の「翁」の奉納が実現した。これには去る平成20年5月、談山神社長岡宮司のご案内で梅原猛先生が現在修復中の常行堂に保管されていた「翁」面(摩陀羅神面の箱書きあり)と対面されたことが遠因としてあり、この翁面を26世観世宗家観世清和氏によって甦らせることでもありました。
平成24年、談山神社本殿が改修落慶され、昨年会場となった常行堂が演能の場の権殿として開放されることになり観世流の総力を挙げた奉納公演として五ヶ年計画が立てられ、第一回目として神社所有の400年以上経た「悪尉」の面を使用し、26世観世宗家観世清和氏による「恋重荷」の公演が開催される事になった。
同じく神社所有の「摩陀羅神面」を使用した「一人翁」を今回観世宗家の監修で新たに制作、梅若玄祥の「翁」にて初演奉納される。
また、5月21日は皆既日食が日本で観測されるが古代神話の「天の岩戸隠れ」を題材にした「絵馬」の舞囃子を芸術院会員、人間国宝 片山幽雪のシテで奉納して頂き今一度芸能の原点を見つめ直す機会に致したく企画されました。
今回も歴史に残る奉納として必見のプログラムです。

【奉納次第】
一、修祓儀式
二、玉串奉納 加藤精一
三、宮司挨拶 長岡千尋宮司
四、多武峰式「翁」
         翁   梅若玄祥  千歳 浦田保親
         地謡 片山九郎右衛門 分林道治 観世喜正 坂口貴信
         後見 大江又三郎 山崎正道
         笛 藤田六郎兵衛 小鼓 荒木賀光 大鼓 山本哲也 太鼓 観世元伯
五、舞囃子 「絵馬」
         天照大神 片山幽雪
         天鈿女    井上裕久  手力男 青木道喜
         笛 藤田六郎兵衛 小鼓 林吉兵衛 大鼓 山本哲也 太鼓 観世元伯
         地謡 観世喜正 山崎正道 分林道治 林宗一郎
六、能楽  「恋重荷」
         シテ 観世清和   ツレ 山階弥右衛門
         ワキ 福王茂十郎  アイ 茂山七五三
         後見 大江又三郎 井上裕久
         笛 赤井啓三 小鼓 大倉源次郎 大鼓 亀井忠雄 太鼓 三島元太郎
         地謡 梅若玄祥 片山九郎右衛門 観世喜正 山崎正道 坂口貴信
七、閉会
※止むおえず人員の移動が有るかも知れません。
【定員】 150名
【料金】 15,000円
【主催】 多武峰談山能実行委員会

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2011年12月31日 (土)

お世話になりました。

本年は、両親の追善に当たり主催公演開催につきご助力。
ご協力いただきました事改めて御礼と感謝を申し上げます。

今年は本当に苦難の歳で有ったと思いますが
色々と思いを巡らす良い機会になったと思います。
被災地の一日も早い復興をお祈りいたします。

fbの御蔭で普段のお付き合いの幅と内容に大変な変化が起きました。
楽しくもあり、戸惑いもあり、兎に角このような媒体が身近になったことが
生活にプラスになるように来年も活用させて頂きたいと思います。

さて、これから用意をして例年の丹波篠山に元日奉納「翁」に行ってきます。
新年午前0時過ぎから始まる恐らく日本一早い奉納「翁」ではないかと思います。
一年のはじめを寿ぎ世界の安穏を祈って謹んで勤めてまいります。
佳いお年をお迎えください。

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2011年12月10日 (土)

夕顔、船弁慶

 

日曜日には東京で下記の二番を掛け持ちします。

 

先ず、午後1時過ぎから観世能楽堂で梅若研能会の能「夕顔」です。

 

源氏物語夕顔の巻から執った能はこの「夕顔」ともうひとつ「半蔀」の二曲が有ります。「夕顔」は世阿弥の作で悲劇の主人公としての余韻が随所にちりばめられた難曲です。シテは梅若万三郎、端正な謡と姿に定評が有り面、装束の凝り方は尋常では有りません。楽しみな一番です。

 

今回は小書き(特殊演出)が前シテの出に変化をつける「山端之出」と後シテの「舞」が工夫された「法味の伝」と二つ付きます。

 

 

 

能「船弁慶」

 

この能は「碇潜(いかりかずき)」と共に歌舞伎などにも取り入れられました、平家追討を成し遂げた源義経一行が今度は兄頼朝に追われる立場になり、尼崎大物の浦から西国に逃げ延びるエピソードが能に作られました。

 

ご覧に成られた方も多いと思いますが能では義経を子方(こかた)という子供に演じさせるのです。これには様々な意図が有ります。貴人や、大人が演じると憚りが有ることが多かった時の逃げ手段という事もいえます。また、子供に演じさせることによって非常に難しいキャタクターを抽象化させることに成功しています。

 

この船弁慶では子方の義経を中心に恋慕の念いを寄せ合う静御前(前シテ)、壇ノ浦で海の藻屑と消された恨みを晴らそうと現れた平知盛(後シテ)とその一門(姿は見えません)。主従の契りを結び掛け値なしで命と引き換えに主君を守ろうとする武蔵坊弁慶(ワキ)とその配下の武士(ワキ連)達。弁慶の取引先で尼崎の船宿を営み義経が利権を取り直したら私たちが瀬戸内の利権を持てるように進言してくれと言いよる船頭(アイ狂言)という子方の義経を取り巻く総勢6名が出てきます。

 

これはそれぞれ、恋人、敵、従者とその家来二人、それと金銭を伴う利害関係者という人間社会の縮図が配置されています。

 

舟弁慶は世阿弥の甥で優れた能を書き残した小次郎信光といわれています。音曲的にも優れ、この時代には能の囃子事も大変な進歩を遂げていたことが判ります。

 

因みに小次郎信光は太鼓の名手として名高く太鼓方観世流の三番一調に「金札」「胡蝶」と共に「船弁慶」が有ります。

 

この様にして、能を見ていくと必要最小限の登場人物で壮大な人間ドラマを現出させようとした作者の意図が汲み取ることが出来ます。

 

東京水道橋の宝生会での能「船弁慶」はノーカット版です、4時頃から上演されます。シテは宝生和英、ワキは殿田謙吉、アイ野村扇丞、笛一噌幸弘、大鼓、亀井広忠、太鼓、観世元伯の面々です。小鼓は小生です。

 

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2011年12月 5日 (月)

祖先祭有難うございました。

先代27回忌、祖先祭無事に終了させて頂きました。

その後、舞台に追われアップもできませんでしたが

フェースブックの方は取り回しが簡単な分細目にアップさせて頂いております。

この機会にフェースブックに登録またはご覧いただけると幸いです。

小生のフェースブックページは一般の方でもほとんど回覧できます。

(画像は肖像権の問題もありますので限らせて頂いています。)

今回は昨日の舞台の事を載せました。

http://www.facebook.com/index.php#!/permalink.php?story_fbid=206046666142817&id=100002124551020&notif_t=like

宜しくお願いします。

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2011年11月19日 (土)

十五世大倉長十郎秦宣喜二十七回忌追善会 大倉流祖先祭

ご案内

 11月27日(日)12時開場 13時開演 〔入場無料〕

御知友お誘いあわせの上、是非ご来場くださいませ

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2011年11月 5日 (土)

能なんか症!!

 

●能を子どもに体験させるというと、

頭の固い先生方などは

「子どもたちに、そんな大人でも難しい高尚なものが判るはずが無い、能なんか絶対に無理だ」

とおっしゃります。

この大人の反応を、わたしたちは「能なんか症」と呼んでいます。

子どもは珍しいものには興味をいだくものです。

先生方対しては「先生方のような大人にならないために子どもの内から体験をさせていただきたいのです。」と説得して実際に体験を行うと案ずるより産むが安しで、鼓を前にして興味を示す子どもを見せることで先生方の考え方は変わります。

 

文部科学省による学習指導要領の改訂にともなって、2002年度からは中学校の音楽で

和楽器を教えることが盛り込まれました。

教育現場で和楽器を教える難しさは大変です。

わたしたち能楽師が学校を回れるのであれば良いのですが実際にはできません。

学校の先生方に教えて、芸を子どもたちに受け渡してもらうなどの必要があります。

 

 

 

音楽の先生ならピアノやギターの弾き方は皆さん知っています。

ところが鼓の打ち方、構え方はほとんどわからない。

このようなことは、先生方にとって虚を突かれる出来事です。

何となく小鼓の演奏を見たことがあって判っている積りでも、

左手で持って、右肩に乗せる構えことすらできないわけです。

そのとき初めて先生方も「自分もきちんと演奏を体験しないといけないんだな」と

考えなおしてくださいます。

これが重要な治療法です。

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2011年10月31日 (月)

師弟関係に思うこと。

■師弟関係にある教育のヒント
日本の教育について考えるとき、先生と生徒の関係も気になります。体験授業などで学校を回って驚くのが、子どもが先生に対してフレンドリーなことです。休み時間はまだしも先生に物を尋ねたり、教えを乞う姿勢が出来ていないことに驚くことが有りますが、そのことを先生も良しとして、子どもに慕われているのだと受け入れています。

私たちの伝統芸能の世界ではフレンドリーな師弟関係などありえません。能の役者は一生涯を掛けて山の頂点を目指して登ります。先輩も後輩も、同じ苦労をともに感じあっている仲間です。
その先輩に対して、「稽古をつけてください。よろしくおねがいします」と礼儀を尽くすと前を行く先達が後輩に向き直して稽古をつけてくださる。だからそのときは先輩を100%信頼し、言われた通りに従う。「俺はあの先生が嫌いだから稽古は受けたくない」というような感情的な判断をやめる。さらに、今までためてきた知識の束縛を離れ没頭する。これこそ世阿弥の言う「情識(じょうしき)は無かれ、稽古は強かれ」(漢字に注意!!)ということなります。

先人の経験を通して、自分がまだ経験していないことを教えてもらうんだという覚悟の意識が挨拶に現れています。授業開始の鐘と共に先生に対して「授業を宜しくお願いします!」とあいさつをして、なおかつ終了時に「有難う御座いました!」と挨拶をする事が有っても良いと思います。

●今も伝統芸能の中に息づくこのような師弟関係のあり方も、現代の教育現場で生かしていけるのではないでしょうか。

職人の世界は、子供のころから専門教育を受けて育ちます。幸か不幸かはわかりませんが、大人になったら家業を継ぐことになる。その為、子供のうちから技芸を仕込むことが、とても重要になってきます。

小生などの能楽師の場合は理屈抜きで身体全体で小鼓を打ち、声を出す。物事をあまり考えないうちに、毎日、毎日身体を動かしていく。すると日々変わっていく身体と理想の演奏とのズレが実感できるようになります。

これはスポーツと同じかもしれません。素晴らしい球を打つために、テニスでも素振りを繰り返します。こうした稽古を子ども時代に積み上げた後、二十歳までに役者バカにならない為に一般教養を学んでいきます。
大学を卒業する時点になって就職活動をしなければならないような現在の人材育成方法とはまったく逆です。このような職人としての教育方法や価値観の重要性を、再認識すべきだと思います。

映画「シンドラーのリスト」で子供を国外に退出させるのに不審がる国境警備兵に対してシンドラーが「この子たちは9口径の薬きょうを磨く熟練工だ、君たちの大人の指で磨けるのか!?」と大勢の子供たちを武器工場の熟練工として通過させる場面が有ります。このように職人の世界を大切にする文化がマイスター制度などに見るドイツの優れたところだと思います。

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2011年10月27日 (木)

謡曲の普及

 

●元禄期の印刷技術の発達と共に謡曲は全国に瞬く間に広がりましたが、これにはもう一つの重要な意味があります。

下剋上によってのし上がった武士政権に下野に下され、先祖は源平藤橘に繋がる地方に封じられたものの各地の荘園領主、庄屋様などの各地に根付いた末裔たちに、数百年を経てテキストとして謡曲が伝わったのです。

優雅な王朝文化の記憶が書き込まれた謡曲台本を声に出して謡うことでDNAに響いたのでしょう。瞬く間に全国に伝搬し、貧しくとも先祖は王朝人としての誇りを取り戻したのは想像に難くない事です。士農工商などの身分社会を形成しながらもそれが幾度となく上下したということです。

 

誤解を恐れずに例を挙げると江戸時代に「百姓(ひゃくしょう)」と差別された人々は、7~8世紀の書物には「おおんたから」と読み下されていたようです。

 

もう一つ余談ですがこの式楽に制定されたことによって能楽は既得権に安住し芸術性が狭められたとみる向きが有りますが小生はそのように思っていません。いつの時代にもまじめに取り組んでいる人はいるものです。これだけの事をしていれば良いと言われた時に、そこで安住する人と、そこから深めていく人が必ず居ます。もともと神仏に奉仕していた能楽はこの江戸300年の間に恐ろしく深化を遂げたと思っています。

 

人が同じことを繰り返す上で偶然に生み出される奇跡の瞬間が有ることに気付いたのもこの300年ではないかと思います。しかし、世阿弥がその伝書の中でその奇跡の瞬間を予見している節が読み取れることに驚愕します。

 

明治維新を迎えたときに津軽と薩摩のお侍さんが東京で出会っても方言のために意思の疎通が図れなかった時に、謡曲の「候文」で話すと会話が通じ全国共通語の役目を果たしました。当時の公用文や新聞はそれを採用しますが、いかに全国に謡曲の文語体が浸透していたかが伺われるエピソードです。

 

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2011年10月23日 (日)

室町以降

 

●大和の能が国家宣伝や宗教宣伝の題材が多く作られたのに対し、世阿弥が庇護を受けた足利義満の影響もありスポンサーが神から人に移ったことは王朝文学などを積極的に取り入れ舞台芸術として飛躍的に発達するきっかけと成りました。これは世阿弥以降の奇跡といえます。

 

神と同等の権力を手にした足利将軍で根が付いた日本文化(能、花、香、茶、建築など)によって教養を高め、人として成長していく伝統は受け継がれてきました。特に能楽は「能」と「狂言」を併せて上演することで貴賤上下の隔てなくあらゆる世相の喜怒哀楽、また民族の成り立ちを虚構の舞台の上で見ることが出来る日本史のタイムカプセルのような舞台芸術として重要な教育方法に育ったのだと思います。

 

安土桃山以降は能をたしなむことが、人間教育として重要だと本能的に気づいたのでしょう。それまでお茶に傾倒し豊臣の名を冠した秀吉は50歳を過ぎて名護屋城遠征の余暇に能を演じる事に目覚め。そして狂いました。権力闘争に明け暮れていた戦国武将が、なぜ「能」を重要視したのか。そのことを改めて考える必要があると思います。但し、余りにも文化芸術に肩入れしすぎた権力者はクーデターにあえ無く転覆し戦国の世は長くその学習が生かされませんでした。

 

12世紀、保元平治の乱以降の弱肉強食の時代を終わらせるには権力者の教養を高め、しかも武力を弱めさせる事が必要で、冷静に武装から文化に意図をもって変革を成し得た成功者は17世紀に入って天下統一を成し得た徳川家康でした。参勤交代と共に能楽を「式楽」に制定し各藩に贅を凝らした能楽団を抱えることを強制しました。これは現代でいうと世界中の国々に能楽堂と能楽団を抱えろと国連が命令し、式典の前後には必ず饗応の能が催されたのと同じ事です。各藩の軍備予算が大幅に文化に注がれるようになったのです。

 

徳川家康は能の何を見て悟ったのでしょうか・・・。

 

 

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2011年10月18日 (火)

能 羽衣

 

■能「羽衣」

 

能「羽衣」の成立は定かではありませんが観阿弥、世阿弥親子が静岡県の浅間神社に奉納に出かけ、美保の浦に伝わる羽衣伝説を知っていたと思われます、またそれの先行芸能などを元に纏めたのではないかと考えます。

 

物語は漁師が浜辺で美しい衣を拾い、持ち帰ろうとすると天人が現れその衣は自分のものだから返してくれと声をかけます。漁師は天人ならば天の舞楽を舞えば返しても良いと答えますが、天人は先に衣を返してくれなければ舞は舞えないと返事をします。漁師は先に衣を返せば、舞を舞わずに天上に帰ってしまうだろうとその言葉を疑います。天人は「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と天上には嘘偽りの無いことを告げると漁師は恥じ入り衣を先に返し、天人はそれを着て舞を舞い大自然の恵みを謡い感謝する心を伝え帰天します。

 

有名な羽衣伝説ですがこれは異民族の出会い、異文化の葛藤と捉えて読み直すと大変面白い事象が現れます。

 

荒い繊維の衣を身に着け天気の良い日には漁に出て、釣った魚を市に並べて日銭を稼ぐ「いつもニコニコ現金払い」の日銭労働者と、機織りなどの長期契約労働者を抱えなければ製品化できない絹織物を生産加工する信用取引の文化が出会い些細ですが諍いが起こります。しかし相手を少し思いやっただけで平和的に話し合いで重大な民族間抗争に発展せずに問題を解決した素晴らしい先祖の出来事なのです。

 

その為に後世に残そうと伝説化し、さらに戯曲化され、終には能楽として制作されたのです。

 

もし、この時に天人を隷属化させ飯炊き女として手籠めにしていたならこの能は出来ていません。ひょっとすると部族間抗争になり悲惨な結末を迎えていたかもしれません、また一部にそういう伝承が残っていることも確かで、能の「羽衣」の様に「話し合いですまそうよ!」というメッセージともとれます。

 

僕はこの作品はスピルバーグ監督の映画、ETに酷似していると思っています。

 

最初、羽衣を見つけた脇の漁師はは持ち帰って「家の宝」にしようとつぶやきますが天人が現れ自分のものだと言うと驚き、それならば「国の宝」にするから、なおさら返すことは出来ないと告げます。

 

これは子供たちがETに出会ったときは「どらえもん」の縫いぐるみに出逢った「お友達」のような感覚です。しかし大人たちがそれを地球外生物と認めると「NASA」が動き重大ニュースになる場面に重なります。

 

羽衣を奪われ空を飛べなくなった天人は、生物としての権限を奪われ検査対象となったETが仮死状態に陥った姿です。

 

信用を得て羽衣を取り返し空を舞う天人の姿は、子供たちの愛によって生物としてのエネルギーを取り戻して自転車で空を飛ぶETの喜びの世界です。スピルバーグは黒沢明に影響を受けた監督ですがこの羽衣伝説をETで作り直したのでは無いかとさえ思っています。

 

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